こんにちは。
新潟市のラ・プリエールです。
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前回お伝えさせていただいた、
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「ラ・プリエールの終活」
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企画の第1回目です。
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今回は、
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「お葬式って、何?」
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です。
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終活のお話をさせていただく時には、僕はいつも一番最初にこの事をお話させていただいています。
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なぜならお葬式が持つ意味が分からないと、実際に葬儀に関わった時に内容の感じ方が変わると思うからです。
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また、お葬式の意味をしっかり考えている人というのは意外と少なくて、
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「何のためにやるんだろう」
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と、悩んでしまう人がたまにいらっしゃるからです。
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そうです。
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お葬式に、悩む必要はないんです。
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なぜなら、皆さんが故人様に対して思う気持ち、もしくは自分の死生感そのものがお葬式でいいと思うからです。
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少し極端な話ですが、僕個人は葬儀の形式も、宗派も分からなくていいと思っています。
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世間の目を気にする必要もないと思っています。
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今回は、そういったことをお伝えしたいと思います。
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故人を弔う儀式であるお葬式は、これまで全世界で行われてきました。
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不思議なもので、世界中どこを見渡してみてもお葬式をしない民族は存在しません。
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「死別」という場面に対しての捉え方で内容が変わることはあっても、世界中どの民族でもお葬式は必ず行われています。
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民族の風習によって違いはありますが、
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「大切な人との別れの時間を過ごす」
「大切な人を弔う」
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という思いや行為は、民族宗教を問わず普遍の文化として人類に根付いています。
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実際にどのくらい普遍なのかというと、人類最古のお葬式は約6万年前から行われていたとされています。
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6万年前と言ったら、人類の歴史でいえば現在のヒトであるホモサピエンスではなく、その前のクロマニヨン人も通り越して、ネアンデルタール人にまでさかのぼります。
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当然言語が誕生する以前ですので、複雑な儀式が行われていたわけではないと思いますが、仲間の遺体を埋葬したり、花を手向けていたという遺跡が発掘されています。
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そして、仲間の遺体は自分達の目の届くすぐ近くに埋葬してあったそうです。
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このことから、彼らは衛生面などの問題よりも、大切な仲間と離れたくなかったんじゃないのかなと僕は考えています。
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いずれにせよ、ネアンデルタール人の時代からこのようなことが行われていたということは、
お葬式は
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「命に対する本能的なコミュニケーション」
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の一つなんじゃないかと考えています。
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言葉も理屈もなくとも、「死」に対して何らかの印象を受けているのだと思います。
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現在の人類が行っているお葬式も、基本的な思いは
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「死別した大切な人の冥福を祈りたい」
「見送りたい」
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といったもので、これは間違いなく本能的なものだと僕は思っています。
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僕の考えるお葬式の意味は2つあります。
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一つめは、
「送る側の心を目に見える形にすること」
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二つめは、
「故人様との関係や時間を振り返り、共に過ごすこと」
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です。
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僕はこの2つの目的が達成できれば、それでお葬式の役割は充分だと思っています。
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大きくても小さくても、豪華でもささやかでも、それぞれの自由だと思います。
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お葬式に正解はありません。 思ったまま、感じたままでいいと思うのです。
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