⑥お寺への不満

こんにちは。

新潟のラ・プリエール



今回は、多くの方々が感じていながらなかなか口に出したり相談できないでいる、お寺様への不満について触れてみたいと思います。


僕が普段お仕事をさせていただいているなかで互助会と同じくらいよく耳にする不満の声が、お寺様に対するものです。


まず大前提として、すべてのお寺様がよくないお寺様だと言っているわけではありません。


もちろん素晴らしいお寺様もたくさんいらっしゃいます。


あくまで感覚ではありますが、感覚としては半々くらいかと思います。


それに、もともと仏教はとても素晴らしい宗教だと思いますし、その思想は日本人の価値観にとても合っていると思います。


しかし、素晴らしいお寺様もいらっしゃいますが、 俗にまみれた世間知らずの時代遅れの人間にしか見えないお寺様も意外と多いというのも事実です。


「お布施が高すぎる」

「お経の価値が分からない」

「態度が横柄」


などという声があるように、残念ながら半分以上のお客様が


「しょうがなく」


お寺様にお願いしているという現状もあります。


ただこの事に関しては、ラ・プリエールが新しい価値観のご葬儀を提供していることから、お客様の層も関係している気もします。



これまでの価値観で考えれば、ご葬儀はお墓のある菩提寺に依頼することが当たり前でした。


もし菩提寺以外のお寺でお経をあげたり、告別式をせずに火葬を済ませた場合には、最悪お墓に入れてもらえないということもありえる状況だったと思います。


「本当は嫌なんだけどね」

「葬式の時ばっかり大急ぎで来て!」

「檀家やめたいんだけど、やめられないんだわ。。」


でも、


「代々のお墓もあるし、ご先祖様や親戚に迷惑が掛けられない」


と、納得がいかないままに渋々お付き合いをされている方もとても多いです。


こういった思いは、ご葬儀と一緒でお寺様との関係性(信頼関係)に満足していれば出てこないものなんじゃないかなと思っています。



では、今僕たちが思っている


「お葬式の時はお寺様にお願いする」


という考え方は、どこからやってきたのでしょうか。



もともと仏教は精神的な修行を示すものであって、


「成仏(じょうぶつ)」


という言葉も、亡くなってからではなく、生きている間に悟りを開くということを指していました。


ですから本来は戒名(法名)も生前に授与されるものであって、亡くなってからのことは仏教の開祖である釈迦の教えにはなかったはずです。


結局のところ、


「死ぬためにどう生きるか」


が本来の仏教のテーマであり、


そこには信者からお布施を徴収するとか、檀家よりお寺が偉いなどという考え方はなかったと思います。


また、法隆寺や清水寺のような、鎌倉以前の時代の寺院はお葬式を行いません。


それは、本来の仏教が小乗仏教と言われるものであり、限られた人間にしか縁のないものだったからです。



仏教の歴史において、鎌倉時代以降は大乗仏教と呼ばれるものが日本にやってきます。


この頃から、仏教の僧侶は一般庶民の供養を積極的に行ったと言われています。


それまでの小乗仏教が釈迦の教えを実践するものだったことに対して、


大乗仏教は一般の多くの人を救うことを目的としたものでした。


多くの人を救うことにより、最終的には自分も救われるという考え方です。



僕たちが抱いている仏教のイメージは、おそらくこの大乗仏教だと思いますし、


現代の日本にある仏教のほとんどがこの大乗仏教です。


住職にお経をあげていただくことで、大切な方が成仏して仏になるという考えです。


では、この通りであれば現在の多くの人がお寺に不満など持たないはずなのですが、なぜ今のようになってしまったのでしょうか。


歴史を辿っていくと、江戸時代に遡ります。



現在も広く普及している


「菩提寺と檀家」


という関係は何かというと、システム的には


「檀家が菩提寺の住職の暮らしの面倒をみることによって、自分たちのご葬儀や供養をしてもらう。」


という関係です。


大まかに言うと、おそらく当時は食べるものや寺院のメンテナンスなどを檀家が面倒をみて、寺院は万が一の時にご葬儀やその後のご供養を受け持つといった関係でしょうか。


そんな中、当時はキリスト教が日本に普及してきていて、日本でもキリシタン大名やキリスト教に改信する人も増えていました。


幕府は、各地でキリシタンの一派が反乱を起こしたりしているという点からも、キリシタン大名とキリシタンを警戒していました。


隠れてキリシタンを信仰する人間を炙り出すために踏み絵などを行っていましたが、


「地域に1つはある寺院にその住民の管理をさせればいいんじゃないか」


ということで幕府は積極的に檀家制度を推し進めました。


地域の住民は地域の寺院と檀家契約を結ぶことによって、その身元を証明されていました。


見事にキリシタンであるため檀家契約を結ばない住民があぶり出されました。


そうした住民の情報を寺院は幕府へ提出したのです。


こうした寺院を用いた戸籍管理は、明治時代に初めて戸籍制度として正式に導入され、大正の改正を経て昭和23年に「戸籍法」として現在の形になりました。


ですから、言うなれば明治以降は寺院が戸籍管理をする必要はなくなったと言っていいと思います。



それでは、なぜ現在もこうした菩提寺や檀家という考え方が残っているのでしょうか?


それは、お葬式と一緒で業界側が印象操作をしているように、僕は感じます。


「昔から続いているから」


という理由だけで、ほとんど会ったことがないお寺様に何十万円ものお布施を支払うのは、現代の普通の価値観を持った人なら違和感を感じて当たり前だと思います。


もし菩提寺であるのなら、積極的に檀家さんと交流をして、まずはお布施を納めてもらえるようにすることも寺院側に必要なことだと思います。


檀家であることの価値が理解できないから皆さん払いたくないんです。



僕が会ったお寺様でも、


「葬儀はもうビジネスだから家族葬もしょうがない」


とか、


「お経をあげてもらうんだから、もっと環境を整えろ」


とか、


「最近の檀家は不勉強で何にも分かってないんだな」


とか、挙げればキリがないくらいの不遜な「自称」住職がたくさんいます。


そういうのに限って高級車に乗って式場へ来たり、贅沢な暮らしをしていらっしゃいます。


もともと数百年前の恩恵にぶら下がって甘い汁を吸い続けてきた彼らは、社会から必要とされなくなって当然だと思います。


お葬式が、そのご家族にとってどれだけ大切な場面か、 ご供養がどれだけ大切な行為か、彼らには分からないでしょう。


お墓を持っていないからといって違法にはなりませんし、離壇料だって支払う義務はありません。


ご供養の仕方は自由です。


幸い、日本人はお寺やお墓のことはよく分からなくても、お墓参りという文化はとても大切にしています。


僕は、これこそ信仰心であると思いますし、ご先祖様への敬愛に他ならないと思っています。


仏教界の課題は、お寺側にあります。



街の小さな葬儀屋さん

ラ・プリエール

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